今日も痛い 考え続けていること
肩が痛い。重いものをもつととても痛い。それでも重いものを持たされる。
引きが強いんだか、いつも同じようなことがめぐってくる。
今回は断ち切れるか。
断ち切るためにできることはなんだろう。
考え続けていること。
ある児童書を読んだ。貧困もので、数十年ぶりの作品を書いた作家は伝説の作家といわれているらしく、注目された作品になったらしい。
DVで離婚してシングルマザーが2人の子どもを育てているが、パートでお給料も少ないため、子どもたちはいつもおなかをすかせている。章タイトルが食べ物で、どれもおいしそうなのだが、つくっているのは、小学5年生の女の子。キャベツ料理がうまい。小学2年の弟に少しでも楽しく過ごしてもらおうと日々心をくだいている。
母親は、あえて生活保護の申請をしていない。申請もなかなか通りにくいと自身の母親にいいながら、あなたのようにはならないと言っているのを娘が聞いている。
児童文学だけれど、このきょうだいを救ってくれる大人は登場しない。いや、ひとり。シングルファーザーの大人だ。正社員で働いているので、少しは余裕があると、きょうだいに目をかけてくれている。
社会にお世話になって学生時代を過ごしたけれど、その時に欲しかった、読みたかった話はこれじゃないな。共感できるところなどなく、母親は親を放棄しているとすら思えた。意地も大事だが、子どもの空腹を満たしてほしい。一時的にせよ、社会のお世話になることのほうが子どものためになる。
貧困ものはスケッチ文学になってほしくない。
世の中は複雑なのだから、その複雑さを重層的に描いて、子どもに教えてほしい。世の中を。救ってくれる方法を。手をさしのべてもらえる術を。
文学は実用書でもあるはずなのに、貧困ものを美化しないでほしい。
空腹なんてちっともいいものじゃないし、そうならないためにどう生きていけばいいのか教えてほしかったよ、ずっと。
生きづらくない道をみせてほしいよ。児童文学にはさ。