一進一退の肩よ
少しずつよくなっているような気がする肩。
痛いは痛いのだけど、可動域が広がっているような気がする。
お風呂で動かしているのだけど、いままでできなかった動きが少しできるようになってきている。気がするだけなのか、どうなのか。
今年中によくなるといいな。
『エルサレム』(ゴンサロ・M・タヴァレス 木下眞穂訳 河出書房新社)読了。
重たそうな内容だったので、まさかの一気読みするとは思わなかった。
でも、読み始めたらすごい吸引力。ページターナー度高いのに驚く。
各章それぞれ人名がおかれ、そこに書かれた人たちが動いている。
最初に登場するミリアはもうすぐ40歳。病気になり、痛みに苦しんでいる。
「病気になるということは、痛みにどれだけ耐えられるかの実験を受けているようなもの」というミリア。
書かれている言葉がどれも小説ならではの力がこめられ、その力に引っ張られる。
ミリアと離婚した夫、テオドールは精神科医。ミリアは患者だった。
医者として診ていた患者なのだから、ミリアがどういう状態にあるか知っていたであろうに、ふたりはうまくいかなくなり、ミリアは精神病院に入院する。
ミリアは統合失調症と診断されていた。
入院した先で出会ったエルンストも同じ病名だ。
ふたりが入院している病院で、子どもができ、ミリアはまだテオドールの妻だったため、生まれた子どもはテオドールが引き取ることになった。
カースはテオドールと一緒に暮らしていたが、足が悪く、うまく話をすることが難しかった。
病院を退院できたミリアはカースと会いたがるが、カースはミリアに感情をもたない。
人間関係はどんどんと深掘りされていき、ミリア、カース、テオドール、エルンスト、そして銃をもつヒンネルク。
テオドールは医者のかたわら、歴史に残る虐殺事件を研究しており、ようやく発表し話題になるも、それは一瞬で終わってしまう。そのジェットコースターのようないいときとわるいときのギャップの描き方が読ませる。
何年もの間、テオドールは強制収容所や流刑場で人にもたらされた恐怖について研究し、それをグラフ化したいと思っていた。戦争は除外する。なぜなら、軍隊同士の戦いはどちらにも力がある。強制収容所は違う。一方的に弱者を破壊する。その恐怖をとことん研究していた。
彼らはどうなっていくのか気になって一気に読んだ。
その描き方がすばらしかった。
読み終わっても、彼らは私のまわりに残っている。
ミリアやエルンストが倖せになる道はあったのか。
テオドールは精神科医として夫としてミリアと共に幸福を紡げなかったのか。
「エルサレムよ、もしも、わたしがあなたを忘れるなら、わたしの右手はなえるがよい」旧約聖書の詩篇の一節